「幡ヶ谷再生大学子供公園づくり」について

「公園の遊具は流されたままで、空き地もガラス片や瓦礫が残ったままで子供たちが外で安全に遊ぶ場がない・・・」
「簡単な遊具でいいから子供たちが遊べるものがあるとうれしい」
東日本大震災から1年以上経って聞くことが多くなった現地の声。
それに対して私たちができること。
1人でも多くの子供が元気に楽しく遊ぶ場を作ること。
こうして地元の方とたくさんの仲間や子供たちが集まり、子供広場作りとして始まりました。

宮城県石巻市の湊地区にある総合福祉会館みなと荘で、2012年4月30日から2回にわたりガラス片や津波漂流物を撤去し土を盛って整地。
首長恐竜3体を期間限定(6月17日~7月1日)で設置し、遊び場にしました。
この活動がきっかけとなり、石巻市大街道そして小渕浜へとつながっていきました。

大街道は2012年9月17日(東北でのAIR JAM2012翌日)、「みんなで作ろう!みんなで遊ぼう!」を合言葉に子供広場作りが始まりました。
最初はみんなで穴を掘って埋めペイントしたタイヤが特徴的だったのか「タイヤ公園」と言われていました。
完成する2012年11月4日ごろには、参加者が公園のブロック壁にペイントしたAIR JAM2012にちなんでか、「AIR JAM公園」と呼ばれるようになりました。

小渕浜では2013年4月29日、民宿あたご荘さんのご自宅跡地をお借りして子供広場作りがスタート。
2014年1月11日の完成まで番外編を含め13回、地元の方や全国から集まるたくさんの仲間やアーチストとともに子供たちと遊びながら作りました。
小渕で公園作りを始めてから1年後の2014年4月29日、暖かくなり漁がひと段落した春の日に、たくさんの地元の方と一緒に「小渕・子供広場完成お披露目会」をしました。
完成後も草取りや花植えなどを幡再で続けてきましたが、2015年7月26日から小渕主導で自主練と称する自主的な公園整備が始まりました。
10月12日の自主練に参加したMONOEYESの自称高校生コピーバンド「みかん公園」の細美武士さん(Vo&G)による命名で、小渕浜の公園は「みかん公園」を襲名しました。

どの場所も震災後の区画整理や土地利用の変化により、やがて公園としては使うことができなくなる可能性のある土地でした。
1人でも、1日でも、子供たちが楽しく遊ぶ場ができたらという想いで作ってきました。
みなと荘は2015年に移転し、新しく再出発。
大街道「AIR JAM公園」は存続になり、地元の方や幡再生による草取りやお祭りなどの自主練が続くなか、2015年9月に石巻市に申請し「あおぞら公園」という名称に決まりました。
小渕浜「みかん公園」もやがては公園としての使命は終わるかもしれません。
私たちの役割が終わることは、被災地にとって新たな1歩です。
その日まで地元の方はもちろん、心を寄せたたくさんの仲間が楽しく集える場として、みんなで見守り続けたいと思います。
2017年11月19日みかん公園は役目を終え終了しました。公園で使われた遊具は東北ライブハウス大作戦の木札へと再生されます。
木札witha a mission 〈木札で繋ぐ九州〜東北〉

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