私達夫婦は福島県民です。大震災で起きたあの事故では避難区域には入らなかったものの、数キロ離れた場所はもう人は住んでおらず、暗い街並みになっています。
BRAHMAN・幡ヶ谷再生大学さんはそんな最中東北に、そして福島にも何度も足を運んで下さり、音楽や支援物資を通して私達に生きる糧を届けてくれました。
自分達が出来ることを考えそれを実行に移していく力、かっこいいの一言です。
そして私達も、もっと出来ることはないかと考えていた時に、今回の石巻清掃の募集があり即応募させて頂きました。
見てるだけ、考えるだけじゃいけない、実行に移すこと。その機会を与えて頂き嬉しかったです。
もともと幼稚園だったみなと荘の庭を子供達がまた遊べるようにガラス片などの清掃を行いました。
ガラス片の他にも炊飯器や包丁などの生活用品、ボロボロになった服。錆びた釘なども出てきました。
その生々しさが津波の凄さを想像させました。
作業しながら地元の方、参加した生徒の皆、BRAHMANの皆さんと話すことが出来ました。震災当時の事を聞きその内容に息をのみました。
そして当たり前のことが当たり前に出来なくなっている福島のことも話すことが出来、貴重な機会となりました。
ガラス片清掃をし、土を盛り整地をすることで、時間を気にせず子供たちが安全に遊べられるのであれば嬉しいなと思いながら作業しました。
まだ再開の見込みのない小学校、津波が押し寄せた時間で止まっている時計。
子供たちが遊ぶ予定の庭にはガラス片、そしてすぐ近くに横たわるひしゃげた電柱。
1年過ぎた今も地震の痛々しい跡は残っていて、実際に来て見ないと解らないとはこういうことだと感じました。
そしてみなと荘で子供たちが遊ぶにはまだ時間がかかるかなと思いました。
今回幡ヶ谷再生大学を通じてガラス片清掃に参加させて頂き、石巻の現状の一片を目にしました。
まだまだ復興支援の輪は必要であるとひしひしと感じる事が出来ました。
そしてその輪に入り、作業できたこと、部の皆や地元の方と話し合い考えたこと。大変貴重な体験となりました。
TOSHI-LOWさんと話す機会がありました。その時に「あの福島のライブから1年か、長いね」と言って下さったのが印象的でした。
よく他の方に言われるのが「もう1年か、あっという間だったね」です。
TOSHI-LOWさんの「長いね」には福島のことを思い考えてくれていた時間があってこそ出た言葉だと私は感じました。
BRAHMANの、幡ヶ谷再生大学の理念は私の生きる理念でもあると感じることが出来ました。
未来の子供が誇れるような大人になりたい、気高く生きたいです。
まだまだ東北の復興はこれからだと痛感できたので、これからも生徒とし活動に参加できればと思っています。
今回本当に参加できてよかった。見られて、感じることができてよかったです。
何かをしたいと考えているのなら、それを行動に移すということ、それがやはり大事だと今回身をもって感じました。
その行動の一押しを幡ヶ谷再生大学は手を差し伸べてくれそして必要としてくれます。復興支援の輪は大きくなって行くと思います。それには同じ気持ちを持った仲間が必要と私は感じました。
そんな中に入ってみるのはどうでしょうか。
ツイッターでガラス片清掃の募集をみて、連休中にボランティアに参加したいと考えていたので良い機会だと思った。自分に何が出来るかわからないけど、とにかく行動してみようと思った。
子どもたちが安全に遊べるようにガラス片を清掃するもの。スコップなどでガラス片や瓦礫を拾い集めた。子どもたちの遊び場がガラス片や瓦礫でいっぱいでびっくりした。安心して遊んでもらえるようにと考えた。
初めて被災地を目の当たりにして衝撃的だった。まだまだ復興の手が足りていないと思わされたし、復興するまで何度でも足を運ぼうと思った。
自分に何が出来るかは不安だったけど、実際に参加してその思いもなくなったし、考えるよりさきに行動すれば良いんだと思った。同じ思いと目的を持った人達と行動できてホッコリできた。
自分は実際に参加することで自分自身もスッキリできたし、自信も少し持てました。少しでも復興に携わりたいと考えている人は、どんなかたちでも参加してみてはどうでしょうか。自分のできるペースでやれば良いんだという言葉を聞いたとき自分も救われました。
きっかけはBRAHMANの熱烈なファンと趣味を通じての元々の石巻の友達からの案内でした。 それで自分の気持ちのなかで自分は岩手県人なんですが同じ東北にBRAHMANがボランティアに来るのに手伝わなければ罰が当たるのとBRAHMANの音楽やライブ等を目の当たりにして人生的に支えられたのがあり恩返ししたいと思い参加しました。
活動自体は施設のグラウンドのガラス屑拾いなどでしたが、BRAHMANのメンバーがボランティアに来たメンバーと本気になって作業したり、幡ヶ谷復興再生部の人達と共に語り合いながら笑いありで楽しく活動出来たのでおもしろかったです。
実際に現場に行き感じたことは、被災直後に比べたら街並みも風景も良くなったんじゃないでしょうか。
石巻を被災直後に訪れた時は人の住むところじゃないって思ったし怖かったです。
人が人じゃなかったです…
活動を終えて参加したことに自分自身に誇りに思えますし、岩手の自分の田舎じゃ隣の家が困ってる時は黙って手伝うのが当たり前の行為なんです!
助けたいとか何かしなきゃならないと思うのは人間の本能だと思います。
自分は当たり前のことをしたまでです。
宮城県や福島県の沿岸部は計り知れない被災をくらったと思います。岩手も沿岸部がかなりの大ダメージを受けました…
ただ沿岸部だけじゃなく内陸部も同じ被災地なのを忘れて欲しくはないです。
就職に至っても援助や補助は全て沿岸部住まいの方だけなんです…
今回の地震や津波の影響で沿岸部とのつながりがあった企業なんかは廃業せざるをえなく、解雇になった従業員が内陸部にたくさんいると思うし、少なからず何らかの影響は受けてます…
自分はスポットをフルに受けてる沿岸部とは別に内陸部の今の過酷さや実情をあげてもらいたいです。
前々から参加したいと思ってまして、今回家のすぐ近くで活動があったのと、被災しているからと言っていつまでも受け身でいるのもだめだと思い良い機会だと参加させていただきました。
和気あいあいと楽しみながらの活動でした。
自分は関係者の方、BRAHMANの方々とちょくちょくお話させていただき勉強になる事を一杯聞きました。
BRAHMANの皆さんにあの日々の感謝の気持ち伝えられました。
と、子供達の為に皆一生懸命清掃してくれていたので地元民として凄く嬉しく思いました。
段々復興は進んでいるかと思っていたんですが細かい部分はまだまだ全然なんだな…と、感じました。
もっと早くに参加出来てれば良かったと少し後悔してます。 今回良いきっかけになったし凄く意味のある日だったのでこれを機に積極的に参加していきたいと思います。
明日、今日、今、1時間後、10分後、1分後、1秒後、何が起こるかわかりません。
もしかしたら死ぬかも知れません。
明日は明日の風が吹くじゃだめなんです。
明日やろうはバカ野郎なんです。
現実的に考えたらBRAHMANさんみたいに毎日全力で生きることは無理な話ですが、少しでもそういう努力はしましょう。
津波にのまれて泳いで気付かされました。
ちょっとでも良いので自分の人生悔いなく生きてください。
と、皆様の温かいご支援ほんとうに感謝です。
ありがとうでは全然足りませんが本当にありがとうございます。
もし違う地域で何かあれば必ず助けに行きます。
DVD霹靂を見て改めて東北で何が起こったのかがわかりました。そして俺は心配ばかりしているだけで募金すらしていないことに気付きました。
このままだと後悔するなと思ってDISC2の最後に紹介されていた幡ヶ谷再生大学に連絡しようとしました。でも何かと不安でずっと迷っていました。
そうしている内にワカメ漁のバイト募集で締切って発表されて、焦って、雑用でいいから何かやらせてくれって、もう不安だからとかどうでもいいやと思って「後悔したくない」とメールしました。そうしたらゆかりさん(つなげる・つたえるプロジェクト)を紹介されました。
石巻で学校の前にある校庭くらい広い広場のガラスや鉄屑を40人くらいで拾い集めました。子供たちが遊べるように一日かけて拾い続けました。そこに後日、恐竜のオブジェが展示されるみたいです。
BRAHMANのメンバーやスタッフの方もいて、驚きながらもカッコイイなーと感激してました。昼食は現地の方に郷土料理を用意して頂きました。
午後になって少し疲れが出た頃に一日かけてこれだけか、と無力さを感じました。
この街が完全に元に戻るまで後どの位かかるのか、その間に首都直下型地震が起こればどうなってしまうんだとか。それでも、ガラスを拾い続けるみんなを見てこれも復興への大事な一歩なんだと改めて感じました。
前日に前回の生徒の声に載った篤君と石巻に暮らすだつ君に石巻や東松島、矢本を案内してもらいました。内陸から海岸へ向かうにつれてガードレールや柵が曲がっていきました。海岸付近につくと家の基礎だけが残った地区がありました。靴や子供のおもちゃ、壁一枚だけが残った家、全焼した学校がありました。テレビや新聞では決して伝わらない生々しさが其処にはありました。
夜はすーさんという1人暮らしのお爺ちゃんの家に泊めてもらい当時の話を聞きました。元気な人だったけど、地震前は人との交流が少なく孤独だったそうです。震災があってからたくさんのつながりができたと話していました。「震災があってよかった?」と聞いたら、ちょっと間を置いて「よかった」と。「こんなことがあって変われた」と言うのを聞いて、おじいちゃんになっても変われることを、すごいなって思いました。
マスメディアに加工されていない本当の被災地を見られてよかったと思っています。
石巻に行ったことで、視野が広がった感じがします。
ガラス拾いをした日の帰り道、仙台で新幹線を待つ時間が2時間ほどあって、近くのTSUTAYAで暇を潰しました。試聴機があったからBRAHMANのCD3枚くらい並べて聴いていたら不意に虚しくなりました。
俺は今まで何て薄っぺらい毎日を過ごしていたんだって。今、これから自分に何が出来るのか、考えました。
今もまだ考えています。それもこれも幡ヶ谷再生大学があったからです。感謝しています。
俺は高校3年生で、これからは進学のことがあるけど、現地にはまた行きたいです。
篤君にはすごくお世話になりました。復興再生部の先輩がいて、一緒に活動できたのはすごくよかったです。
バンドもBRAHMANがいて、その次の世代がいて、続いているっていうか、つながっていっている。そういうの、すごくいいなって思います。
学校(東京都内)で被災地にボランティアで行ったのは、先生と生徒含めおそらく自分1人です。
友達は「え!? 1人で行くの」とか、「急に?」とか、普通に驚いていました。
担任には行くことを話していました。
担当がみんなに「りょうは石巻に行ったんだ」って話して、それを聞いたみんなが話を聞いてきました。
でも周りの関心はそんなに高くないです。
それを見て、みんな前の俺みたいだなって思います。俺はたまたま好きなバンドがこういった復興支援活動やっていて、かっこいいなって憧れて、自分もやろうと思ったけど。上の世代で動く人がもっといたら、みんな関心を持つんじゃないかと思います。
こう見えて俺はまだ高3です。まだまだ未熟なところだらけですが一つ言えるのは、復興だ絆だと言っていても瓦礫は片付かないし、いくら心配しても現地の人の心は癒えません。
行動が伴わないと無意味だと思います。
不安と後悔まみれの俺でも一通のメールからここまで繋がれました。
貴方も。
Twitterで今回の企画を知り、以前から現地での復興支援活動に興味があったことと、ちょうど仕事の休みがとれたことで迷わず参加させていただきました。
子供たちが元気に、笑顔で、安心して遊び回れる環境の土台づくりとして、ガラスや食器の欠片、大きな石などの除去作業をお手伝いさせていただきました。掘れば掘っただけ出てくるそれらをひたすら拾い上げて行く地味な作業でしたが、それも子供たちのアカルイミライへの一歩になればと思えば全力をつくして作業することができました。
石巻にはあの日以降、初めて伺いました。メディアで幾度となく流されている2次元の映像だけではわからない、今の石巻を感じることができました。どう感じたかはうまく言葉にできませんが、五感をつかって今の石巻を感じ、現地の方のリアルタイムの話をお聞きできてすごくよかったです。
同じ日本人が、同じ人間が苦しんでいることを見過ごすなんてできない。今、自分になにができるかをもっと考え、行動していきます。 そして、必ずまた石巻になにかお手伝いに行きます!
こんな風に言っては失礼かもしれませんが、私は今回の企画に参加できて楽しかったです。なのでまた参加します!
きっかけは、僕は去年の震災以降、南相馬のきっずくらぶさんに地元で集めた物資を運び、受け入れをしてもらっていたんです。
何回か運んでいるときにふと思ったんです。
「他にまだやれることがあるんじゃないか?もっと被災地の方の話を聞いてみたいし心の繋がりをもちたいなぁ」
と。
じゃあ、なにしようか?
と考えながら各被災地のボランティア募集のサイトを見ていたのですがボランティア登録やら保険の手続きなどをしなければお手伝いができないという現実を知り、少し尻込みしていた時に、再生大学からの募集があったのですぐさま連絡させてもらいました。
ちょうど連休に東北には行く気でいたのでタイミングがすごくよかった感じです。
石巻はまだ行ったことがない場所でしたので早く行って役に立ちたいという思いでした。不安とかは一切なかったです。
散らばっているガラス片を見て、正直、「ここでまた子供が遊べる日が来るのか?こんな危険な場所で子供を遊ばせるの?」 なんて思ってしまったのも事実です。
上記のように思った反面、絶対に綺麗にしてまた子供達が集まれる、遊べるようにしてやる!って思いながら作業をしていました。
あとは落ちている園児達の私物を片付けながらこの子達は無事に避難できたのかなぁ?と考えてました。
充実感がありました。一度やったからいいとかじゃなくて継続していかなくちゃダメだなぁと強く感じた。
今回は被災された方も手伝いにみえていた。
その人達を見て、自分たちの街を自分たちで綺麗にしてやるという気持ちを強く感じとれました。
すごいと思いました。
自分も負けてられないと。
被災地のことを想っていても、願っていても、考えていても残念ですが何も伝わらないのが現実です。
どうせならその気持ちをもって直接現場に行き、伝えてみませんか?
そうすることで初めて自分にも、相手にも 絆 や 繋がり を感じられるのではないでしょうか?
先日はお疲れ様でした。
BRAHMANのメンバーも前日にライブでお疲れでしたでしょうに全員参加されて流石だなぁと男気に感心致しました。
私は介護職で仙台に住んでいますが職場は七ヶ浜で震災時も職場にいました。
幸い、職場は高台にあり被害はなかったのですが、それから福祉避難所に指定されていたこともあり、1ヶ月くらいは通常業務が出来ずボランティアさんに入ってもらっていました。自分は仕事でお金を貰って仕事しているのに、入ってくるボランティアさんは無給で本当に全国からいらしていて、なんというか・・・ジレンマでした。
でも、家庭や仕事を置いてまでボランティアに行くのはそれは違うだろと自分に出来る事をやるしかありませんでした。
七ヶ浜で津波被害のある地域を見ていましたし、通勤でも津波があった地域を通りますので、石巻もそういう状況であろう事は容易に想像出来ました。
震災直後は地震も頻発していて石巻に行く勇気も正直ありませんでした。
そんな時にBRAHMANの活動を知りました。
自分が出来ない事をやっているその姿勢に羨ましくもあり、そうやって音楽の力を信じて突き進む姿に勇気付けられました。
今回、幡ヶ谷再生大学を通じ、私もその活動に参加出来て少し前に進めた気がします。
そのような機会を有難う御座いました。
TOSHI-LOWさんやウチのデザイナーが現地に行ったり、打ち合わせしているのを身近で見ていて僕もチャンスがあれば実際に被害のあった地域を自分の目で見て、現地の人に触れたかった。
何か出来ると思っているばかりで、何もできていなかったのでこの機会に参加させて頂きたいと思いました。
幼稚園の外の土の中に、ガラスの破片や陶器など危険なものが散乱してしまっていたので
それらを除去する作業です。
地元の方や、主催される方に指示を頂き、土を掘り起こして中に埋もれているガラスやゴミを取り除きました。
何もできなかった自分が、具体的な作業で復興活動に参加できていることが純粋に嬉しかったですしキレイになったこの上で楽しそうに遊ぶ子どもたちの姿を想像しながら作業しました。
タフな現場で黙々と作業をするというイメージを持っていたのですが良い意味で力が入りすぎてなく、和気あいあいと楽しんでやれたのが印象的でした。
TV等でしか見たことの無かった現場を初めて見て、なんでも無い平凡な日常を奪われることの残酷さを強く感じると共に助け合う人々の温かさも同時に感じました。
ただがむしゃらに仕事のように復興作業を行うのではなく穏やかな気持ちで、みんなで助け合いながら、色々な話をしながら作業を行う。そうすることで手伝いに来た人、現地の人が同じ感覚で気持ちを共有出来て絆が生まれる。だからこそ復興活動が長く続いていくんだと実感しましたし、自分もできることなら何度でも足を運んで繋がってやっていきたいという思いを持ちました。
何か力になりたいけどどうしていいかわからないという気持ちをずっと持ち続けていましたがふとしたきっかけで参加させていただくことができたことに感謝しています。
きっと自分のように思っていた方が多いと思うので、あまり構えないで参加してみるといいと思いました。
どんなに文明が発達していても変わらない、人と人のつながり。
復興をお手伝いしていく中で、自分の中でもきっと何かが変わっていくのが実感できます。
前日までアラバキ(ARABAKI ROCK FEST.)に参加で、せっかくなので30日にどこかでボランティアができたらいいなと漠然と考えていた時に、Twitterでの参加募集をみて日程や、場所、内容が自分にも無理なくできると思ったからです。
またDEVILOCK NIGHT FINALの際に東北ライブハウス大作戦のブースで、TOSHI-LOWさんと話す機会があり、お前みたいなやつがもっと増えたら、日本はもっと良くなるのにな、と言ってもらえたことがすごく嬉しかったので、前からボランティアに興味があって一緒にアラバキに行ったライブ友達を誘って参加することにしました。
石巻市立湊幼稚園・湊保育園の園庭に落ちている、細かいがれきやガラス、大きな石や、ゴミなどを撤去する仕事でした。
また、参加した皆さんの給食のお手伝いもさせて頂きました。
最初、BRAHMANのメンバーが全員現れた時には、びっくりしすぎて頭が真っ白になりました(笑)(来ることを全く予想もしていなかったし、聞いていなかったので)
主催のゆかりさんをはじめ、つなげる・つたえるプロジェクトの方々がとても明るく、面白い方々ばかりだったので、ボランティアという気持ちよりも気の合う仲間で野外活動を楽しくワイワイやっているという雰囲気の中でできました。
復興再生部のスタッフの皆さんも、パッと見近寄りがたいですが(笑)とても気さくな方々でしたし、今回募集で集まった10人も、好きな音楽が同じこともあって、フェスやライブハウスで出会った仲間の様な感覚でした。
BBQとかキャンプが好きなので、外での給食当番でアルファ米でおこわを作ったり、たくさんの餃子を焼いたりするのもめっちゃ楽しかったです!
細かながれきを拾う中で、子供たちが遊んでいたビー玉やちっちゃなおもちゃが出てきたりするのを見て、切ない気持になりました。
また、TOSHI-LOWさんと話をする中で、大川小学校のことを話して下さり『TVで色々言われて問題になってるけど、実際に行って見たら 学校の裏の山は急な崖や斜面で、小さな子供たちが全員登れるような場所じゃないなって思うよ。時間があるなら、見てきてみなよ。』とすすめて頂いて、地元の千葉さんの案内で実際に行ってきました。
行ってみてまず感じたのは、海が見えないのに海の匂いがした事で、本当にここに津波が襲ってきたんだということです。そして確かに、裏にある山は直ぐにかけ登れるようなものでは無いとおもったし、川も穏やかだったので子供たちがのみ込まれるような津波が来るとは全く想像がつきませんでした。
TVの情報と、自分の五感で感じるのは全く別物だと改めて思いました。また、周りには小学校以外の建物は全くなかったのでここには小学校しか建っていなかったのかな?と思ったのですが実際にはたくさんの民家があったことをき聞き驚きました。ここでも、土に埋まった細かながれきを見て色んな思い出が残されているようで胸が痛くなりました。
あれから1年経って、人がたくさん集まる場所や観光地は綺麗になり、少し前まではシートがかかっていた仙台駅からもシートが外され、かなりもとに戻ったんだと感じていました。
でも、実際に被害の大きかった地域に行ってみると、家が立ち並んでいた場所の大きながれきは取り除かれ遠目には整備されているように見え、復興はまだまだだけれど、個人でできることはもうないのでは?
と思ってしまう様子でした。ただ、足元をみてみるとそんな場所もまだまだ子供たちが遊ぶには危険な、細かいガラス片がたくさん落ちていたりします。
こういった細かい部分にこそ、これから沢山の人の手が必要で、やれることはまだたくさんあるんだと感じましたし、これからも
+αの楽しみをみつけて東北に復興のお手伝いに来たいと思います。
もちろん、恐竜が飾られたら必ず観に来ます。
ボランティアと聞くとなんとなく仰々しくかんじて一歩踏み出すのに勇気が要ったり参加している人達や、社会貢献や福祉の気持ちが強い人たちばかりで、気軽な気持ちで参加できないんじゃないのかな?とか、行っても迷惑かけるだけなんじゃないかな?と思う人たちもたくさんいると思います。
私も最初はそうでした。もちろん中にはそういう場所もあるかもしれませんが、今回の復興再生部のメンバーはホントに遊びながら、楽しみながら 復興に参加するというスタンスの仲間たちばかりです。
不謹慎に感じるかもしれませんが、楽しくなくちゃ続かないし、どんな志であれやらないよりはやった方がいい。そう感じます。
野外でみんなで体動かして、汗かいて、ご飯食べて、ちょっと真面目に未来を語る。
とっても楽しいし、素敵な仲間もできます。
迷っていたら、是非参加してみて下さい☆
岡下沙代さんに誘っていただきました。ボランティアのきっかけとなりました。
園庭のガラスやガレキ拾い。まだ細かな物が沢山あり今回の災害の凄まじさを改めて感じた。
細かな物が本当に沢山あり、一画でも一日では終わりきれない程。まだまだ人手と時間が必要だと感じた。今回は幼稚園だった場所ということで、また子どもたちが一日でも早く、この場所で元気に遊べる場所になってもらいたい!
映像と現状を目の当たりにするのでは感じ方が全く違った。なのでボランティアに参加して良かった。復興への道はまだ続いているので、これからもっとボランティアにも積極的に参加していきたい。
今回初めてボランティアに参加しました。まだあの時の現状が残っている所も沢山ありました。現実を実感して、少しでも支えていけたらと思いました。
一緒に参加された皆さん、夢中で作業されていたのが印象的でした‼そして笑顔も多かったです☆
何かのきっかけになると思います‼
沢山の人にボランティア、又は現地に足を運んで欲しいと思います。