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2012/4/23~5/3牡鹿半島小淵浜ワカメ収穫作業

「人手がなくワカメの収穫ができない」という声から、幡ヶ谷再生大学では4月にワカメ漁バイトを募集しました。その受入先である石巻小渕浜の漁師・木村美輝さんは、震災で奥さんと長男、家と船を失いました。 震災から一年が経過した被災地の現状やワカメ漁バイトスタッフとの関わり、木村さんの心境など伺いました。

ワカメ漁バイトを受け入れたことについて聞かせて。

支援活動インタビュー実際は正直ね、簡単な仕事してもらえればいくらかでも助かる――、それだげ人手が足んねがった。素人でもできる簡単な仕事ってのがあるから、最初それをやらせようと思ってた。でも・・・みんないいやつらだったからさ、やる気もあっぺし。ちょっとハードルを上げて、簡単な仕事だけでねぐ、もっとやれることで進めたらバリバリ仕事すんでねぇの。
ボランティアのなかにもいろんなタイプがあったからだけっど、ノリがいいまんま仕事に飛び込んだっつうのはない。「さ、やっちゃうぞ-!」みたいな恰好でやろうとすっから。そいつに釣られてみんなして仕事すっから、すげ-仕事はかどんのね。
多くのライブつうのは激しいっちゃ?! あのノリを仕事にぶつけっと合うのがも。うちら(漁師)体使って仕事すっがら、そういうとこ合うのかな-と思って。
面白かった。楽しかった。
そういうことだから、受け入れたっつ-よりも、逆に助けられたほうかな。うちらはこんなに助かることはなかった。
それにああゆう出会いっつうのはやっぱり、そんなにあるわけじゃないから。
知らない者同士が一緒になって、何回も何回も集まれるってのは、あんまりねぇ~よな。ボランティアで来る人たちでもさ、何人かは月1度入ってくれてるボランティアがいるのね。でも実質1回来てあと来ないって人、かなりいるっちゃ。
でもあのメンバーに関しては4月来てから、5月に来る、そして5月にもう1回来て。そうやって来てくれっだもん。しかも遠いところから――、神戸から、福井から、北海道からも来てくれてる。
今なんかこっち(小淵)に帰ってきてから、ロープワークなんか覚えて。ロープの結び方練習して。すげー子らだなって思ったもん

ホストファミリーみたいな感じになってる。

支援活動インタビューそういう感じ。家族と一緒。
うちのおふくろとおやじも、ご飯用意して毎回持ってくんだっちゃ。食わせねぇといけねぇどって。何か自分の子みてぐ思ってんでねのがな。
おやじらにしても、張合いになってる。仕事の張り合いじゃなくて、生活の面。精神的に――つらい部分っていうの、かなりあるんだっちゃ、正直まだ。前に進むようにしてっけども、仕事は前に進んでるようにしてっけど、精神的な部分はまだまだ・・・。
でもそこにみんなが来てさ、あぁやってワアワアって騒いでいれば、忘れてしまうんだよね、苦しい気持ち。――苦しい気持ちが、一瞬でも紛れれば・・・。だからおやじもおふくろも、あぁやってしょっちゅう来て話していくんだっちゃ、一緒になって。精神的にも助けられたっつ-のがかなりある・・・。

小渕浜にBRAHMANと僕ら行ったじゃないですか(4月30日)。あのときにみんなの働いてる姿とか、楽しそうな感じとか、笑顔とか、こんな雰囲気でできるんだなと思って、それがすごく心打たれたっていうか・・・。「人と人がつながっていく」っていうことの良さを、初めて実感したときだった。

支援活動インタビューあのやろっこどもも、俺たちこんなきついことしたごとねえって。でもそういう苦しい雰囲気を持たねぇんだっちゃね。楽しそうにやってるっちゃ。あいづら共通の話題(音楽)があっから、そいつで盛り上がるんだっちゃね、夜になっと。
あの雰囲気ってのは家族みたいなもんだったんだね。うちの娘も「おっと-会いに連れてって~」って言うっちゃ。「遠いから無理!」って言ったの(笑)俺からすれば、息子ってまでは年離れてねぇけっども、そういう感じだもんな。どこさ行ったってつながってっから大丈夫だ-ってさ。どこさ逃げるわけでもねぇがら、いつでもここさいっがら。
感謝してる部分つうのは、仕事に関してはもちろん感謝してるんだけっど、こういう出会いを与えてくれたことに、ものすごく感謝してる。
最初はね、BRAHAMNのこともわかんねぇし、どんな奴ら来るのかなって不安もあった。それでも実際一緒になって仕事してみたっけ、こんなにいいやつら、いんのがや、ってくらいいいやつらが集まったね。
逆にTOSHI-LOWのファンって、みんなああいうやつが多いの?って、俺がらすると思う。びっくりしたもん。。

ところで震災前は人手があったのに、なんで震災後そんなに足りなくなったの?

支援活動インタビューえ-とね・・・元々地元でも亡くなった人もかなり――20人近くいるからだけっど、ここから出て行った人たちも・・・。漁師をやってない人たちもけっこういで、その人たちも稼いでたっつうのもあっだし。でもその人たちも今結構出て行ってしまったっし。あと石巻からも結構人、募集かけて引っ張ってきていた。それが来ない。前は就職難とか、仕事がないために、アルバイトってやつら結構いたんですよ。ところが今は瓦礫の作業があっから、そっちに定着してしまったんだっちゃ。うちらはあくまでも短期間。瓦礫は1年か2年くれぇ今からまだ続くから、そこに人がどんどん行ってる。あともう1つは一番ダメなパターンで・・・保険もらって、何もしないでいる。――そういう人たちがかなりいる。
来年くれぇまで人がいないかな。1年か2年は多分このまま続くのかなって。瓦礫の作業に人引っ張られていっから、結局、そんなに人がいねくて、どうしても苦戦すっんだよね。

そんななか、なんで美輝さんは仕事始めようと思ったんですか?

支援活動インタビュー仕事はね・・・元々漁船とカキの養殖やってたんだけっど。漁船はもう壊れたから。船をやるとなっと、うちを離れる期間多くなるんだっちゃ。夜昼関係なく動くから。そうすっと、子どもたちと暮らす時間が少なぐなるな-と思って、船を諦めたの。カキ1本で食えねぇな-って思ったし。そんだったらワカメやろうかなと思って、今回初めてやったの。
だから仕事も、精神的な部分もかなりひどかったの、今回初めてだから。どういう風にしてやったらいいかわかんなっぐ、先輩たちに聞きながら・・・。
結局俺たち漁師って、陸に上がったらカッパと一緒なの。陸の仕事勤まんねぇんだっちゃ。今更この年で陸に上がって仕事するってたって、無理な話あっし。だったらもう1回やり直すべなって決めたのは早かった、俺は。
ただショックは大きかったんだよ。家族亡くしたショックっつうのは、かなり大きかったんだけっども。それでもやっぱり子ども育てていかなきゃなんねぇなって気持ちがあったっし。あとは稼がなきゃなあって。――で動き出した。
仕事してるときってさ、何か余計に考えなぐていいっからさ。今でも1人になっと考えることはマイナスなことしか考えねぇがら。逆にみんなにこうして来てもらえて、こうして飲んだりするっちゃ。そうすっと、変に考える時間がない分――・・・。逃げてるって言えば逃げてんだかもしれないっけど、その苦しさっつうのは・・・もう・・・耐えられないのね。
俺は息子を自分で見つけてきたっだがらさ。息子の亡くなった姿っつうのを見てんの、どんな格好だったか。奥さんも亡くなったの見たっだけっども、奥さんに関してはもう月日が経っていたがら。そういうのも考えだときに、あ~かわいそうにな-って。もうそいつを考えると、いてもたってもいられなぐなる。どんなに苦しかったんだよな-、怖かったんだよな-って・・・。そうやって考えていぐと、どこまでもどこまでも落ち込んでいくんだっちゃ。落ち込むのが、嫌だってわけじゃないけっども・・・。
支援活動インタビューいつまでもいつまでもそいつだけは拭い去れるもんではない。たぶん一生背負っていかねばならないべな-って。そのなかでみんながな、楽しぐしてくれれば、――ちょっとでも楽になる。
その苦しみから逃げてるって言えば逃げてるっんだけっど、それでも、その一瞬だけでもみんながこうして来て楽しぐしてもらっただけでも、俺は楽になるな-って。だから感謝してるんだけっど・・・。
仕事が大変なのは、男だからさ、何とか自分が頑張ればと思うけっども、精神的なものってのは・・・拭い去れないものだからさ。
だから・・・、俺は思うんだけっども――、日常が・・・今多分みんな普通に生活してっのが、満足してねぇ人たちが結構いると思うんだけっども、それがさ、でも俺から言わせれば、どのっけ幸せだったんだよなって、今すごく実感してる、すごく・・・。
当たり前のものが、当たり前でねぐなったとき――。それを考えるっと、今の生活、どのっけ幸せなのか・・・。かみしめてもらいて-なって思う。

美輝さんが言ったように、ボランティアで来てもなかなか関係が続かない。もちろんボランティアで来た人たちには元々の生活があるから、そんなに来られなくなる現実はわかる。でもボランティアとか被災地とか関係なく、そこでできた縁を大切にして、つながっていってほしいなって思ってる。

俺もそういう感じだな-。人とのつながりっつうのを大切にしたいっつうのがあっし-。感謝って気持ちもあっからだけっど――、いつまでもいつまでもず-っと続けられればな-って。あいつらもそうやって来てけっからさ、俺も嬉しいっす。

ボランティアのなかには「作業がないと被災地に行けない」って言う人多い。でもそうじゃないと思う。夏休みだから来たよ~とかで、いいと思ってる。そういうつながりが人を支えると思っているから。人間の心ってそんなに簡単には、瓦礫が片付いて街並みが変わるようには変われない。それに長く長く寄り添う。一緒に楽しむのもよし、泣くのもよし。付き合い続けることが一番大切じゃないかなって思う。

支援活動インタビュー俺もそう思う。あいつらには、彼女や彼氏ができたらまず連れて来いよって。俺が仲人すっから~って。
どこ行ったって、ここでのくれえきつい仕事、そんなにあるわけねぇんだから、どこさ行ったって通用すっから自慢してもいいよって。もしどごかで弱音吐いだら、俺の仕事そんなに柔だったのかって思われっから、どこかに行って何かしたら意地でも続けろよって。
幡ヶ谷再生大学の大学生だとすれば、これだけの優秀なやつらはいないんじゃないかと。学力でねぇからさ。どんなにつっぱってようが、どんなにやんちゃしようが、どんなに真面目だろうが、人としてできねげれば。その点では――大学から寄こした人たちは優秀だった。かなり優秀だった。どこに行っても自慢できる。
仕事は夏いっぱいあっのね。みんな何もしてねげったら、また呼ぶけっど(笑)

2012年6月26日原宿VIRGO事務所にて




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